地球上で最大の書店をつくった男 − @IT自分戦略研究所
圧巻は1998年6月30日付の米国SEC(証券取引委員会)の報告書である。これを一読すると、呆気にとられる。「実質的に、この会社のコンピュータと通信ハードウェアは、ワシントン州シアトルの1つの賃貸施設に集中している。この会社が持つシステムの運用は火事、洪水、停電、通信障害、侵入、地震などの事象による損害や中断に対して脆弱である。この会社は現在、冗長システムを保有しておらず、また業務の中断があった際の正式な災害回復計画を持っていない。もし事故が起きた場合の損失を補償する十分な保険を持っていない……」
まだ延々と書いてあるのだが、要するにアマゾンにあるコンピュータは旧式のDEC製サーバ2台だけで、バックアップもなければ、回復プログラムもない。障害が起きたり壊れたらどうなるか、それについては何も考えられていないのである。クラッシュがあれば一巻の終わりである。何とも勇ましい。
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この記事 2002 年に書かれたらしいけど。
いまやクラウドを引っ張る amazon だけに、マジか?と疑ってしまう。
「Apple製品、好きだよ」 ハッカー・DVDヨンの素顔 - ITmedia News

短く切ったブロンドヘア、赤いスチールフレームの眼鏡、緑色のTシャツ。ジーンズのひざには、真っ黒なA4のThinkpad。やせた白人男性が、静かにキーを叩いている。 渋谷のホテルの一室。一心にプログラミングするこの青年は、「DVDヨン」と呼ばれている。本名はヨン・ヨハンセン、25歳。ノルウェー出身の世界的に有名なハッカーで、DRM破りの代名詞ととらえられることもある。 15歳の時、DVD-Videoのアクセスコントロール技術をクラックし、ノルウェー検察当局に著作権法違反で起訴された。その後もiTunesのDRM「FairPlay」を破ったり、iPhoneを回線契約なしで使えるようにしたり——Apple製品のDRM破りでも名をはせた。
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ほえー。DVD ヨンの顔はじめてみた。
神経質そうな印象。
プロレスラーの生きる道 - タケルンバ卿日記

今後バックドロップは出しづらくなる。心理的に使いづらい。三沢の影がどうしてもちらつく。そりゃそうだ。三沢にかけてしまった最後の技がバックドロップだから。彼にとってバックドロップは呪われた技となる。いや、バックドロップだけじゃない。他の技だってかけづらくなる。心理的なためらいの原因になる。これまでのような試合ができにくくなる。
しかし、それでは三沢だけではなく、斎藤彰俊もプロレスラーとして死んでしまうのだ。ひとりの死によって、ふたりのレスラーがプロレス的に死んでしまう。それはノアというプロレス団体の社長だった三沢が望む展開ではないし、プロレス界としても損失。
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タケルンバの意見すべてに賛成はできないけれど、
> 彼には語り継がれるレスラーになって欲しい。
> それが三沢をプロレスラーとして最も輝かせる道なのだから。
この部分には 200% 同意。
リングで泣いてあやまってみんなで泣いて、それで三沢がどうなるんだ?
それをやるのは葬式場だ。
リングでそれはやっちゃダメなんだ。
痛いニュース(ノ∀`):三沢光晴さん心肺停止状態 試合中倒れる
13日午後8時45時ごろ、広島市中区基町の県立総合体育館小アリーナで行われていたプロレスリング・ノア広島大会で、試合中に男性プロレスラーが倒れ、救急搬送された。 広島市消防局によると、男性は、心肺停止状態という。 大会関係者によると、男性はプロレスリング・ノア社長の三沢光晴さん(46)という。

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そ、そんなバカな・・・。
ルータの革命企業ジュニパーの創立者 − @IT自分戦略研究所
1998年2月に入っても、ジュニパーの従業員数はわずか85人であった。7月には、同社独自のOSであるJUNOSが誕生した。JUNOSはシスコのIOSと競うことになる。IOSは2300万行を超える巨大なOSに膨れ上がっていた。ジュニパーは、IOSがインターネット向けというよりは、企業向けのOSであると批判した。 同年8月、ジュニパーは初の製品であるM40ルータをリリースした。M40はインターネットプロセッサと名付けられたASICを搭載していた。ASICとはApplication Specific Integrated Circuitの略語で、特定のアプリケーション向けに用意された集積回路である。100万ゲートを超える集積回路であった。M40の核となるのはパケット転送を高速に実行するハードウェアであるパケットフォワーディングエンジンだが、この中にインターネットプロセッサが組み込まれている。パケットフォワーディングエンジンは、ルーティングエンジンとは切り離されて存在している。
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ジュニパーの創立者の読み物というよりは、ジュニパーじたいの成り立ちについてです。
当初の技術担当最高責任者がインドの人というのも、新しい企業の雰囲気を感じます。
スティーブ・ウォズニアック - 成功者の憂鬱

1983年6月スティーブ・ウォズニアックはアップルに戻り、アップルIIの後継機の開発に助言をする。しかし復帰後のアップルでは、スティーブ・ジョブズの率いるマッキントッシュ計画の方が主流で、スティーブ・ウォズニアックの影は薄かった。しばらく会社を休んでいた人が会社に戻ると自分の席がないのに気が付くということを、スティーブ・ウォズニアックは経験したのである。
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(´;ω;`)ブワッ
フリーソフトウェア/オープンソースに最も貢献した10人 - SourceForge.JP Magazine
この10人というのがまたなかなか渋いチョイスなので紹介する気になった。選ぶにあたっては、達成したことの技術的な困難さに加え、社会に与えたインパクトの大きさも相当に考慮しているようである。
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6 位以上の人は有名人ばかりだけれど、7 〜 10 位の人たちは誰も知らない・・・自分の知識の少なさを痛感。
フリーソフトの導師 − @IT自分戦略研究所

1985年3月、リチャード・ストールマンはGNUプロジェクトの開始に当たり、参加と支持を求めてGNU宣言を発表する。GNUとは「GNU’s Not Unix」の略であり、ハッカー文化の伝統である再帰的な名前の付け方に従っている。Gは発音する。GNUは完全にUNIX互換なソフトウェアシステムの名前である。
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この記事は、emacs と gcc と make の父である、あのイカしたおじいさんの過去を知るチャンスです。
パケット交換ネットワークの父 − @IT自分戦略研究所
パケット交換ネットワークに関するポール・バランの「分散通信について」という11本のレポートは次のように始まる。
「敵の(核)攻撃のあとでも数百の通信基地が互いに交信できるような通信ネットワークの合成を考えよう」
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現在のネットワークは戦争を考えてできた、ってのはいろいろな本に書かれていることだけど、提唱者はこの人だったのかー。
互換CPUで名をはせた男 − @IT自分戦略研究所
1969年5月1日、解雇されたジェリー・サンダースは元の同僚7人とともに資本金10万ドルで、アドバンスト・マイクロ・デバイセス(AMD)社を設立した。半導体業界の大物中の大物、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアの設立したインテルに1年弱遅れただけで新しく半導体の会社を設立することは困難であったようだ。設立当初、AMDの本社は共同設立者の1人ジョン・ケアリーの自宅にあったが、9月にサニーベールに移転した。
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いまとても厳しい状況におかれている AMD の設立者のはなしです。
> スレート誌によれば1996年ジェリー・サンダースの年収は104万ドルで米国の
> 最高経営責任者の平均より58%多い。株式のオプションなど一切合切を含め
> ると2220万ドルで米国の最高経営責任者の平均より479%多い。
ものすごいワンマン経営者だった、というか会社を私物化してますね。